気まぐれ日記 2014年6月
2014年5月はここ
6月1日(日)「数学の話は慎重に・・・の風さん」
昨夜もビールを飲んでさっさと寝た。今日も大変な一日になる。
名古屋地区の予想最高気温は、昨日より高い34℃である。東京もきっと暑いだろう。
6時に起床し、7時過ぎの電車に乗った。
名古屋からは料金の安価なぷらっとこだまである。
講演後に本を販売するつもりなので、キャリーバッグが重い。
うつらうつらしたり、読書したり、ラインゲームをやったりしながら、東京に着いた。
そこから丸ノ内線に乗って池袋で乗り換えて、さらに遠くへ行った。初めての場所(大東文化センター)である。
今日は日本数学協会の総会・講演会だった。建部賢弘生誕350周年とのことで、森本光生先生と小川束先生の間にはさまって、私は「建部賢弘をめぐって」という上野健爾先生ご提案のタイトルで講演した。きわめて専門的な話は私のやるべきことではないので、作家デビューにまつわる話をしたが、ちょっと色気を出して、数学的な話をしたら、講演後、小川先生から間違いを指摘されてしまった。
日頃からもっと研究者の方達と交流していなければならないなあ、とあらためて思った。
とはいえ、幸いにも、講演後、持参した本がよく売れた。感謝、感謝。
会場を次に使う団体が来てしまったので、最後の小川先生の講演時間がなくなってしまった。申し訳ない思いでいっぱいになった。
上野先生はじめ皆さんがどんどん家路についてしまわれたので、私は来ていた出版社の方と近くの喫茶店で打ち合わせをゆっくりやることができた。何とか年内に出版できるように頑張ることになった。
夕方、ホテルにチェックインし、夕闇が降りてきた外へ出て晩ご飯を食べてホテルに戻った。
パソコンでメールをいくつか送り、読書も少しして、3日連続のビールも飲んでいつもの時間に就寝した。
暑かったが今日を乗り切った。
6月2日(月)「五大路子さんの演技に感涙・・・の風さん」
退社して2ヶ月が過ぎたが、週末の感覚のない多忙な毎日が続いている。今日は月曜らしい。
ホテルの部屋でチェックアウト直前までメールを送っていた。
昨日、森本先生が紹介してくださった Takebe Conference 2014 にエントリーすることにした。日本で開催されるのに出席しないというのはもったいない。英語での Short Presentation にも挑戦することにした。
Website からのエントリーだが、昨日聞いたばかりなので、詳細を記入することができない。とりあえず、だ。そこで、大会委員長の森本先生をはじめ、上野先生、小川先生へもメールで意思表示を伝えることにした。
チェックアウト後もホテル内にいればパソコンでネット接続できるので、ロビーにいて作業を継続した。
昼食は駅で天ぷら蕎麦を食べ、横浜へ向かった。
今日は、五大路子さんの神奈川芸術劇場での公演「ニッポニアニッポン」(長谷川伸がテーマ)があって、それを鑑賞するのである。
受付へ行くと後援会のやっちゃん母娘だけでなく長谷川邸の佐藤さんご夫妻もいたので驚いた。
佐藤さんご夫妻を生前の長谷川伸先生と一緒に暮らしていたわけだから当然だが、新鷹会に入って26年以上が経過している私も、長谷川先生の謦咳に触れたことはなくても、作品だけでなく色々なことを知っている。
だから今回の公演は、長谷川伸先生の一生であり人生観なので、まるで身内の物語を観ているようで懐かしい想いがした。
そして、五大路子さんの優れた演技から、私は亡き母と再会したような感覚にとらわれて何度も落涙してしまった。そのことをお芝居がはねたあと、楽屋へうかがってお話したら、五大さんも目に涙をにじませてくれた。
これからの人生を生きる勇気を与えられた公演だった。
横浜駅で新幹線の予約変更をして家路についた。
今年早くも23冊目の読了となった。
6月3日(火)「連勤・・・の風さん」
1勤1休でかろうじて仕事を進めてきたが、ずっと「勤」が続いている。
今日は、午後からJMAの打ち合わせがあるので、昼前にインスタントラーメンをお腹に入れてバタバタと出かけた。電車に乗り込んだ時点でもうエネルギー切れ状態だった。
打ち合わせには普通の態度で臨むつもりだったが、白熱した議論になってきたので、生来の悪い癖が出た。全力投球である。シエスタが必要なほどへろへろ状態だったにもかかわらず、だ。やはり人間はおのれの業にしたがって行動してしまうのだろう。無駄と知りつつ、途中、チョコレートでエネルギー補給してみた。
早目に終わる可能性もあった会議は、予定の時間を30分以上もオーバーしてやっと終了した。
テキスト制作プロジェクトのちょうどよい区切りになる懇親会になるはずだったが、議論は懇親会にまで持ち越され、私も酔っぱらいながらまだ喋っていた。醜態だろう。
何とか帰りの電車で寝過すこともなく、家にたどり着いたが、さっさと風呂に入って寝た。明日も「休」とはならない。
6月4日(水)「今年は天文暦学に注力・・・の風さん」
久しぶりにルーチンワークをこなし、続けて明日の講義の準備をした。年初からエクセルの練習を積んできたので、昨年の苦労が嘘のように理解が進む。ようやく亡くなられた大野先生の講義をまともに教えられるようになった……というのはまだ早いか。大野先生のテキストはレベルが高いので、学会発表の基礎知識も含まれている。そこまでの実力は残念ながらまだない。
それが一段落したところで、2時間弱のシエスタをとった。
続いて、来週の講演の準備に取り掛かったのだが、これはなかなか手ごわい。
いくらか思考を進めた後、気にしていたメールを次々に送信した。
今年も新鷹会アンソロジー(光文社文庫)が出版され、拙作も入れてもらったのが届いた。非常にうれしい。拙作は高橋至時と間重富が出てくる天文暦学もので、実話をベースにしている。今年は本の出版からエッセイ、講演にいたるまで天文暦学に重心を置いているので、相乗効果を狙っている。
しかし、ただ面白いだけではよくないな。太陽暦との本質的な違い、つまり素朴な自然と調和した生き方の素晴らしさも現代人にしっかり伝えなければいけない。それをちょっと忘れていた。
6月5日(木)「夏を前にした肌寒い日・・・の風さん」
昨夜から雨になっている。30℃を超す日が続いてこのまま梅雨入り・盛夏に突入かと思われたが、昨日から気温だけはかなり下がっている。
今朝もルーチンは少しだけで、文庫の書き直しに着手したのち、来週の講演の準備の続きをやった。
昼にはこの付近は雨も上がって、強風が吹き始めていたが、疲労が全身に貼り付いた感じだったので、本山キャンパス行きは電車にした。
まだ退社後の生活が新鮮な面もあるせいか、繁華な駅構内を歩きながら「今日はウィークデーなんだよなあ」としみじみと思う。34年間の会社生活に悔いはないが、まだ自分を労う気持ちはわかない。これから10年の目標は、作家として稼ぐことだ。若ければきっとやれるだろうが、60歳からの本格的な作家スタートでどれだけやれるのか、挑戦的な楽しみもある。
講義の前に銀行に寄って、振込み確認をした。やっと昨年来続けてきたテキスト執筆の原稿料が振り込まれていた(今日である)。しかし、しっかり源泉徴収されていて、一瞬脱力したが、頑張るしかないと思い直した。現金を引き出して、滞留させていた案件を、郵便局へ移動して4件(5万円以上)振り込んだ。稼いでも稼いでもすぐ出て行く……ああ、愚痴るまい愚痴るまい(笑)。
講義をバッチリやって、さっさと帰宅した。
ワイフに催促して、晩御飯は3月に買ってきたきりたんぽ鍋にしてもらった。肌寒いくらいの今夜にはベストの料理である。何とか年内にまた秋田へ行きたい。心のふるさとへ。
6月6日(金)「講演の準備に自信・・・の風さん」
雨が上がってキャメロンが汚れている。片屋根のカーポートに縦列で駐車しているので、中途半端なのだろう。落下した鳥の糞がよく付着しているし、風雨の後はだんだら模様できたない。
町の保健センターへ大腸がん検診の提出に行ってきた。先日のC型肝炎検査は完璧な「陰性」だった。きたる10月の61歳の誕生月にはがんを中心とする人間ドックを受診しようと考えている。長い会社生活では、幸い、簡単な定期健康診断で重い病気は発見されなかった。これからは自分で計画的に受診することになるが、亡くなられた先輩方の教訓を生かすことを真剣に考えたい。特に大野先生からは遺言のように諭された。
来週の講演の準備の一環で、気になる会社の人材育成の記事を読んだ。さすが超優良企業だけあって、参考になる内容がたくさんあった。講演の準備に対して自信がわいてきた。
……と思っていたところへ、また新たな仕事が舞い込んだ。これも相当に手ごわいが、チャレンジしていなければ生きている気がしない性格のわたしは、やることになる。
夕方から飲み会に出かけた。これは会社の昔の電子グループ有志の集まりだった。気を遣う必要のある人がいないので、楽しい飲み会だった。
酔っぱらって帰宅したので、さっさと寝ることにした。
6月7日(土)「ハリマオ・・・の風さん」
しっかり寝たはずなのに、朝から頭が重い。まさか二日酔いとは思えない。なぜなら二日酔いの経験がない。深酒する前にダウンしてしまうので、それで二日酔いの経験がないのだ。
とは言え、この頭痛のようなものは、寝不足のときと似ていて、そのときはたいてい頭痛薬で治るので、午前中に服用してみた。
しかし、午後になっても気分が晴れない。天気もどんよりしている(天気のせいじゃないと思うが)。
気分転換に仕事を変えてみたりしたが、スッキリしてきたのは、夜になってからだった。
日中シエスタができなかったこともあり、夕食後、仮眠してしまった。
それで、ベッドの中に入ってから1時間読書したので、就寝時刻が遅くなってしまった。
今日は、友人が書いたスピリチュアル関係の本を1冊読了した。不思議な本だったが売れているらしい。めでたいことだ。
読みかけの本は厚くて(内容が)重い本なので、新たに昔買った本を読み始めた。「ハリマオ」の関係のまじめな本である。子供の頃見た「怪傑ハリマオ」は鮮烈なイメージが残っている。今、東アジアの緊張が高まっている時に、こういった本を読むのは、歴史認識という点で、戦後生まれの私でも身近に感じることができそうな気がする。
6月8日(日)「チャレンジ人生・・・の風さん」
今度の金曜日におこなう講演は、かなり荷が重い。初めてのテーマであり、自分としての主張点がまだ定まっていないからだ。それでも、チャレンジ好きの私は引き受けてしまった。
結果、悩むことになってしまった。
会社員として多くの難題に取り組んできた。若かったし、馬力も多少あったし、何といっても頼る先がたくさんあった。職場関係なく、相談できる多くの先輩たちがいたからだ。それでも、先ずは自力で解決しようとした。
毎朝の通勤途中、マイカーを運転しながら、その日の取り組み事項が次々に頭に浮かんできたものだ。
行動を起こしさえすれば、少しずつでも解決へと近づけた。
仕事を難しいゲームのように楽しみながら、夢中で突っ走ってきて、ふと気が付いたら、定年というゴールがはるか前方ながら見えてきた。そのゴールは、作家としてあらためて出発できるスタート地点とは思えなかった。
ちょうど、大学で留年し、エンジニア人生を小説家人生へ方向転換しようと決めた時、大学卒業が小説家人生の始まりとは全く思えなかったのと似ている。あのとき私は、大学院進学で時間稼ぎをはかった。
エンジニアとして50代に突入した私は、そこから通算5年間の社会人学生を経て、エンジニアと小説家を経営で結んで作家人生に集約することを考えたのだった。
午前3時に、講演スライドの初稿を完成させた。次は、レジュメである。
6月9日(月)「地元の経営者の方と打ち合わせ・・・の風さん」
睡眠時間は3時間ちょっとしかとれなかった。
朝食後、キャメロンで地元のお菓子屋さんへ向かった。三河湾に臨む場所にあるお店だ。そこで、やや数量の多いお饅頭の詰め合わせを購入し、途中で出版社への郵便を投函もし、さらにキャメロンの洗車もして目的地へ向かった。
曇っていた空が晴れてきて、日差しが強くなり、冷房が必要になった。
地元の経営者の方と情報交換する約束だった。かなりお世話になっている方なので、手土産が必要だった。お饅頭は事務室内の人たちへ配られた。先ずはひと安心。
しかし、早速昼食に誘われてしまい、また迷惑をかけてしまった。
経営者の方は地元の活性化を真剣に考えておられ、私はそれに対するいくつかのアイデアがあった。採用された場合は、私なりの人脈を使って、貢献できると考えていた。
多忙な経営者の方と、昼食もはさんで2時間半も話し合ってしまった。
どうも二人はウマが合いすぎる。
強い日差しの中、カリチューへ行き、12ヶ月点検の支払いと、まだだったキャメロンの光軸調整をやってもらった。
帰宅したら、まだ日は高かったが、時刻的にはもう夕食まで間がないころ合いだった。
すっかり疲れ切っていて、夕食後、完璧にダウンしてしまった。
6月10日(火)「アイデアが出なければ・・・の風さん」
久しぶりに書斎の床で目を覚ましたら午前5時だった。こんな状況は、名商大のビジネススクールに通っていた頃と同じだ。何のために退社したのか。こういった無茶な生活をしないためだった。もし雇用延長を継続していたら、これまでも頻繁に同じ状況が発生していたに違いない。命拾いしたとも言えるが、退社した効果が疑問とも言えよう。
けっこうな時間の睡眠をとったわけだが、週末の講演のレジュメのアイデアはまだ湧かなかった。
ぬるめの風呂に身を沈めて、ついでに気も静めて、アイデアが湧いてくるのを待った……が、まだぼんやりイメージだった。
朝食を摂り終わるころまでに、イメージが少しはっきりしてきて、作業手順を決めることができた。あとは走りながら考えるということだ。
昨日から書斎ではクーラーを使っている。今日も、在室中は「ON」で、こまめに温度調整をしている。
午後3時ころ、やっとレジュメが完成したので、メールで送信した。
小休憩後、今度は、8月の Takebe Conference 2014 のための Abstract の再作成である。
こちらも内容がかなりクリエイティブなため、何かアイデアがなければ、モチベーションが高まらない。
どうしてクリエイティブなのかって? 国際数学者会議のサテライト会議としての位置付けだからだ。和算に多少詳しいとはいえ、建部賢弘の小説を書いているとはいえ、日本開催だからとはいえ、一般向けの講演とは違うのである。
鳴海風がやる意義を見出さない限り、Abstract は書けない。
あれこれ雑作業をやりながら、考えた。夕食後、ワイフと相談しながら、さらに考えた。
その結果、外国人研究者が着眼しにくい視点を Abstract に盛り込むことにした。
午後9時過ぎに着手して、午前零時寸前に大会委員長の森本先生へ送信できた。
6月11日(水)「湿った1日・・・の風さん」
東日本ではかなりの雨が降っているらしい。当地も雨模様で、おまけに気温が低い。梅雨という感じではない。
昨日一日外出もせず、書斎に籠って仕事をしていたが、頭を使うだけでかなりのエネルギーを使っている。脳細胞も確実に老化しているのだろう(だから効率が悪いのだ)。その影響で、今日もイマイチパワーがみなぎってこない。それで、今日も、天気も悪いことだし、外出はしないことにした。
ギリギリだが、明日の講義の準備を始めた。
昼食後はシエスタ。
昨年、途中まで執筆を続けていた吉田光由の原稿だが、いよいよ出版スケジュールに乗ったようで、出版社から手紙が届いた。非常に多くの執筆陣による著作なので、出版社も大変だろう。目標は来年3月出版とのこと。著名な共同執筆者の方々に迷惑をかけない原稿にしなければならない。身が引き締まる想いだ。
就寝前にやっと明日の準備ができた。
この週末もかなりきつくなりそうである。
真夜中になって、ようやく雨雲は去ったらしい。
6月12日(木)「晴れた空の下走り回る・・・の風さん」
昨日とうって変わって晴天である。今日は外出するので、日差しがきついだろうなあ。
さすがにキャメロンのエアコンを強く入れて走った。
半田の某所に行き、初めての経験をしてきた。プライベートなことなので、これ以上は書けない。
続いて、大型家電量販店に行き、プリンターのインクカートリッジを購入した。執筆マシンからの印刷は依然としてできないが、まだWindowsXpで使っているちびっこパソコンにドライバーをインストールしてみたら印刷できたので、まだ望みはある。
本山キャンパスに早目に着いたら、元留学生で現在ポスドクの史さん(中国人)にバッタリ会い、しばらく話し込んだ。この人とは親しくお付き合いしているが、私はあまり彼に役立っていないなあ。
昼食を摂るために入った近くのレストランに、あとから若い女性の二人連れがやってきた。日本人と明らかに欧米人。同じ大学に通う同級生かもしれない。頬笑ましく様子を眺めていたのだが、会話を聞いて愕然とした。日本人が早口で下品な喋り方をしていた。日本語だったのでショックを受けたのだ。若い留学生とおぼしき欧米の女性に与える影響を心配した。
講義を終えて、さっさと家路についた。いつものように、1時間半(50km)走って自宅に着いた。
明らかに日常風景にもグローバル化が見られる。
明日は、そのようなグローバル環境下で、技術者をどのように育成するべきか講演する。難しい話だ。
6月13日(金)「名古屋講演はほぼ成功・・・の風さん」
今日は13日の金曜日だが、残念ながらラッキーディではない。なぜなら、友引だから(笑)。
早々とキャメロンで家を出発し、某駅からパーク&ライドで名古屋へ向かった。
昨夜やっと今日の講演のポイントを決めたが、最後は現地現物、聴講者とのコミュニケーションの中で微調整が必要である。
午前中に同志ともいうべき秦さんのご講演を拝聴し、雰囲気になじむ。聴講者は、午後担当の私とほとんど重なっているはずだ。
昼食時、JMA関西オフィスから担当者が合流し、盛り上がった。
担当者が、突然、太陽系は銀河系宇宙の中でブラックホールを中心にして数十億年かけてらせん運動しているそうですよ、と語り出した。これこそ異業種交流の本質みたいなもので、内にこもっていたら手に入らない刺激を、社外へ飛び出せばたくさん受けることができるのだ。
私の講演には、会社の同期の友人も来てくれた。
いつもの悪い癖で丁寧に語り過ぎたために、時間をだいぶオーバーしてしまったが、最後に用意したディスカッションもある程度の効果があったようで、終了後、たくさんの聴講者が私のところへ来て、コメントを言ってくれた。
来週の大阪講演への反映事項もだいたい明確になったので、安心して家路についた。
しかし、かなり疲れた。
夜は何もやる気が起きなかったが、執筆マシンの不調プリンタードライバーを完全にアンインストールし、再インストールした。しかし、確認は明日にしよう。もう寝る。
6月14日(土)「プリンター復活・・・の風さん」
朝から元気が出ない。疲労の極致かもしれない。
これから1ヶ月の間に、電車であちこちへ出かけるので、新幹線の予約をまとめてやった。
ホテルの予約もそうだが、予約しておいてもし自分がポックリ死んだらどうなるか、と心配することが多い。
それで、最近はリビングの大きなカレンダーの余白に、イベント記事だけでなく、連絡先も書き込むようにした。
もし僕が約束を果たせなくなったら、連絡してほしいとワイフに言ってある。
若い時にはなかった心配だ。
だいたい予約ができたところで、試しに印刷を実行してみた。
すると、久しぶりに、二階の踊り場にあるプリンターが機械音で答えてくれた。
実はワイフもずっと超多忙である。来週、トールペインティングの名古屋コンベンションがあり、その準備をしているからだ。それも大詰めになってきたらしく、晩御飯は外で食べるというので、キャメロンで出かけた。
私は初めてのインド・ネパール料理の店に案内された。
ナンが大きくて、超満腹感を味わった。包子みたいな料理があって、香辛料の効いたタレが珍味だった。
帰りにドラッグストアに寄ったのだが、かねて物色していたエプロンを発見した。キャメロンのバケットシートの上部をカバーする代用品である。購入してあてがってみると、どうやらサイズはぴったり。狙い通りにランバーサポートのあたりをしっかり覆ってくれる。
6月15日(日)「キャメロンのシートカバーが完成・・・の風さん」
昨夜購入したエプロンをキャメロンのバケットシートにかぶせ、後ろの紐を結んで安全ピン3個で固定すると、立派なシートカバーになった。安全ピンで固定して袋状にするのは、亡き母のアイデアである。
昼食後、またドラッグストアへ行き、色違いのエプロンを購入して、助手席もカバーした。非常に満足した。
今日は、裏の土地にある小屋へ入り、茶箱から母校の学位記を取ってきた。容易に発見できたのは、およそ一年前に、たっぷり時間をかけて遺品整理をしてきたからである。
作家の仕事が遅れていて焦っているが、ぶっ倒れないように少しずつやるしかない。
今夜は、天文暦学関連の年表作成に着手した。分散しているエクセルデータを一つにまとめようとしたのだが、あまりにも詳細データなので、時間がかかる。これができたら、簡易版を作って出版社へ提案する予定である。
今夜は途中までだった。
6月16日(月)「キッチン劇場・・・の風さん」
一昨日、プリンターが復活したので、印刷にからむ仕事のやる気も復活している。
午前中に、ハガキを2通印刷し、投函がてら、3ヶ所へお礼の品物を送る手続きに行った。
帰宅して、昼食におにぎりを食べてから、秋田の国際教養大学と県庁へいくつかのメールを送った。
続けて、私自身の3つある学位記のコピー作成に取り掛かった。
先ず、部屋の照明(4つある)をすべて点灯して、できるだけ影ができないようにした(もちろん窓からも光は入ってくるが)。床に学位記を置いて、真上からデジカメで撮影した(高精細モード)。フラッシュもONとOFFの両方で撮った。
この画像データをパソコンに取り込んで、出来の良いものを編集して印刷用データを作成した。
白黒でA4普通紙に印刷したら、なぜか筋が出るのだが、写真印刷をしているわけではないので、いちおう目的は達成したと判断した。
学位記のコピー印刷とも関係があるのだが、7月のTOEIC受験の申し込みをした。だいぶ以前のデータが残っていて、ログインできたので、申し込みは楽だった。
今夜は、ワイフがいないので、自分でピラフを作って食べた。
玉ねぎを3分の2個細かく刻んで、弱火であめ色になるまでバターで炒めた。ベーコンやハムがなかったので、サラミを細かく刻んで加えた。塩コショウし、コショウは大目にした。
ぱらぱらの冷やご飯を入れ、強火で、しゃもじを使って元気よく炒め、最後に卵を入れてかきまぜて、はい、出来上がり。
冷たいビシソワーズスープを添えたのが、ピリ辛のピラフと相性ピッタリだった。
食べ終わるとすぐ食器類を洗って片付けた。
しめて30分間のキッチン劇場の幕が降りた。
6月17日(火)「退社後の時空は油断ができない・・・の風さん」
今日から3年ぶりにトールペインティングの名古屋コンベンションが3日連続で開催されるため、昨日からワイフは泊りで準備に出かけている(準備は大変だが、きっと羽も伸ばしているだろう)。
私は午前中、重要な用事で半田へ出かけた。少し緊張する内容だったが、案ずるより産むがやすしで、スムーズに手続きを終えることができた。
そこから近くの大型家電量販店へ向かい、小物を購入し、さっさと帰宅しようとエレベータに乗ろうとしたところで知人にばったり遭遇した。平日の昼間に家の外で知人に会うことはめったにない。というか、むしろ逆で、こういったことがこれから増えるのかもしれない。退社以来、行動している時空が明らかに変わっているのだ。
帰宅して昼食のラーメンを作ろうとしていたら、いきなりゴキが出てきた。今年、早くも三匹目である。家にいる時間が長くなると、こいつと遭遇する機会も増えることになる。ごめんこうむりたいが、確率的に避けられそうもない。今日もゴキジェットで退治できたが、もっと対策が必要だ。
晩御飯は、遅く帰宅したワイフと、駅の近くの安い中華料理屋で済ませた。
6月18日(水)「大阪で講演した夜はまた手料理・・・の風さん」
最寄りの駅を7時半ごろ出発する電車に乗るワイフを駅まで送るため、私も早起きした。
そして、駅でワイフをおろした後、近所に車を置ける別の駅までキャメロンで向かった。
その駅に着くころには、ワイフの乗った電車はもう先へ行っていたが、私はそんなに早い電車に乗る必要はなかった。しかし、帰りに自宅まで歩くのがいやだったので、キャメロンでここまでやってきたのだ。
電車の中で、予約してあったのぞみの切符を20分ほど早いひかりに変更して、大阪へ向かった。
午前中、大阪市立科学館へ行って、学芸員の知人と数年ぶりに会って近況を語り合った。知人も出版へ向けて準備中だったので、お互いに協力できるところは協力しようと話し合った。
お昼で失礼して、タクシーでJMAの講演会場へ向かった。先週、名古屋でやった講演を、今日は大阪でやるのである。
講演内容を少し見直してあり、反応は上々だった。必死に考えただけのことはあったということだ。
新大阪駅で恒例のぶたまんを買って家路についた。
キャメロンのハンドルを握ってから、コンビニに寄って食材を購入し、今夜も自分でピラフを作った。
そして、今夜は忘れずに仏壇にも備えた。
疲労しているはずなのに、こういうことができる自分が信じられない。
ワイフのために少し残しておいたのだが、帰宅したワイフは興味をもったらしく、早速電子レンジで温めて試食してくれた。本当に美味しかったらしく、驚いているのがよく分かった。してやったり、といった感じ。
6月19日(木)「ものごとには少なくとも両面・・・の風さん」
午前中に土曜日の講演の準備をし、ちゃちゃっとインスタントラーメンを作って食べてから、電車で本山へ向かった。
疲労がたまっていて、行きの車中ではほとんど居眠りをしていた。
やっと完成した『工場長の教材』が、自宅でなく本山キャンパスへ送られていて、受け取った。
豪華な装丁を期待していたのだが、標準的なものだった。
事務室の女性に「これ、すごく高いんだよ」と言ったら、いきなり値段を当てられた。
私が世間知らず街道を突っ走っている間に、教科書無償化が進展し、学校の教科書に対して国が支払っている(結局、国民の税金なのだが)値段が高騰していたのだ。
はたしてこれは全体的に見て正しい結果なのだろうか。
講義を終えた後、国際展示場へ向かった。
トールペインティングの名古屋コンベンションが今日で終了で、荷物をごっそり載せたアクアを、疲れたワイフに代わって運転するためだった。
日が高い名古屋の一般道を抜けて知多道に入った。
最近は午前4時ころから外は明るい。サマータイムにしたら、かなりの省エネになるのは間違いない。
それをしないのは、反対する奴らがいるからだ。原発中止を叫んでいるために、足元を見られて天然ガスの価格が下がらないことを誘導しているのと似ている。ものごとには少なくとも両面ある。それらをすべてわきまえて、ハンドルを切っていくべきだが、正義に見える一方的な主張が通ったりする。世の中は難しい。
私も疲労でダウン寸前だったので、今夜はステーキという贅沢を選択した。明日からその反動で、粗食に耐えることになる。
6月20日(金)「現代も古き良き時代になるか・・・の風さん」
午前中で明日の講演の準備ができた。昼食後、キャメロンで出かけた。JAからピアゴそして大型家電量販店。
平日なのに(?)、道路もショップも混雑している。景気が戻ってきていることを実感する。
帰宅して、メール対応しているうちに早夕方になってしまった。
今日のお昼は大阪で買ってきたぶたまんだったが、夜はお好み焼きで、これまた大阪風だった。
次女がいないので、安心してビールを飲んだら、すっかり酔ってしまった(その前に腹がふくれてしまった)。
酔いの勢いでワイフと無駄話をたくさんしたが、しばらくしたら忘れてしまった。老化現象だ。
録画してあった朝ドラを一緒に観て(5日分)、古き良き時代に思いを馳せた。現代も50年後には古き良き時代だったと回想されるのだろうか。
明後日の講演の準備(基本的に5年前の再現なので楽ではあるが)ができないまま、夜が更けた。
6月21日(土)「岩倉高密度講座・・・の風さん」
昼食前に元勤務先の知人から電話があり、早朝勉強会をやっているので、来月、講演をしてくれないかという。その勉強会にふさわしい話ができるでしょうか、と確認すると、どうも大丈夫らしい。その日は、午後予定があったので、何時に始まるのでしょうか、と重ねて尋ねると、7時からだという。確かに早朝勉強会だ(汗)。
ありがたいオファーだったので、受けさせてもらうことにした。
しかし、内容はちょっと真剣に考える必要がある。
電車で岩倉まで行った。到着すると同じ車両に元部下が乗っていて、一緒に学習センターまで行った。今日は講座が終わったら、ビールを飲みながら雑談する約束である。
まもなくもう一人の友人も合流した。結局、講座の前にかなり雑談ができた。
講座の前に、受講者の方に前回の感想を尋ねると、それほど悪くない感じだった。だから、今回も来ているのだろうが。
前回以上に密度の高い話をさせてもらった。ちょっとやり過ぎだったかもしれないが。
3人で近くの喫茶店で1時間ほど歓談した。情報交換は重要である。
2人とも、次回も来れそうだという。1人は早朝勉強会にも参加したいとのことだった。
友達の輪が広がる。
電車で家路についたが、最寄りの駅から自宅まで上り坂を歩いたので疲れた。
明日の準備はできていないが、夕食後、書斎でダウンした(いつもあっさりダウンするので、これまで死なないですんでいるのかもしれない)。
6月22日(日)「ふるさと研究会で講演・・・の風さん」
目が覚めたら午前4時だった。既に外は明るい。しかし、私の頭脳はまだスリープ・モードだったので、また寝た。
結局、午前6時に起きて、顔を洗ってから、今日の講演の準備の続きをやった。
やはり元気な朝は仕事がはかどる。
2時間ほどで講演スライドの見直しが完成した。
朝食後は、販売用の本の準備をした。サインと値段付である。
それにしても蒸し暑い。梅雨らしい気候だ。
昼食にいつも通りインスタントラーメンをかっ込んで、バタバタと家を出た。
図書館に着くと、総会が始まる時間が近いので、たくさんの人がいた。町長はじめ皆さん聴講してくださるらしい。ありがたいことだ。
予定の時刻になって、プロジェクターの準備を係の人と一緒にやって、リラックス・ムードのまま講演を開始した。
地元への愛着をメッセージにこめた内容なので、5年前と同様に話しやすい。やはりふるさと(実際は違うが、わたしはここで死んでいくだろうか、事実上のふるさとになる)はいい。
講演後、持ち込んだたくさんの本を記念に買ってくれる人が多かった。無職のわたしにはありがたい。
帰宅し、ホッとした気分だった。
まだ体力は残っていたが、今日は無理せず、早目に就寝することにした。
6月23日(月)「ひたすら仕事に専念・・・の風さん」
今日は外出しないで仕事に集中するつもりで朝からアクセルを踏みこんだ。
関連性のある仕事を続けてする方が効率がよいだろうと考え、@今秋から担当する中小企業大学校のセミナーのパンフレット用講義内容 Aいつかやることになる『工場長の教材』に関するモデル・1日セミナー・プラン B来週の『工場長の教材』特別講演会のレジュメ に取り組んだ。
それぞれ単独では厄介な内容だが、まとめて考えることで、標準化もでき、夕方までに完了させることができた。
晩御飯まで短いシエスタをとった。
次に何をやるかは迷うところだったが、締め切りのある仕事の一つということで、某大学の教員募集に応募するための書類作成をすることにした。ほぼ間違いなく書類選考で落ちるだろうが、世間の義理でやらねばならないこともある。
初体験ではないので、さっさとできるかと思ったら、最後の段階でつまづいた。
今日は日中ワイフがせっせとコピー機を利用していたが、また執筆マシンから印刷ができなくなってしまった。状況としては、前回と酷似しているので、ワイフのコピー機使用が何か関係している。聞いてみると、濃度の調整など操作したという。
午前零時近くなってきたので、諦めて、モバイルパソコンにデータを移して、そこから印刷した。
急いで就寝したのだが、午前1時を回っていた。
6月24日(火)「頑張っても頑張っても・・・の風さん」
朝食後、キャメロンで出かけた。
先ず、郵便局へ行き、昨夜作成した応募書類を簡易書留で出し、送金を1件した。
続いて、JAへ回り、住民税を一括納税した。一括納税による割引は今年が最後らしい。来年の納税額は(収入比例で)百分の一になると期待している……が、無理かな。七夕飾りに短冊を書いてつるしてほしい、と言われたので、地元の活性化を祈る文句を書いた。冗談ではなく、少子高齢化と都会集中は、地方のゴーストタウン化を間違いなく招く。
大した仕事をしてきたわけではないが、疲れた。やはり基本的な体力がない。
今週末から来週にかけて2度上京するので、まだ決めていなかった移動手段の計画を立てた。
今日は、いくらかシナジー効果のありそうな、二つの仕事をこなそうと取り掛かったが、一つ目でペースががくんと落ちた。
前から取り組んでいた江戸時代の暦関係の年表作成なのだが、データベースがあまりにも膨大なため、簡略にするのが大変なのである。結局、午前2時近くにやっとできてた。
それから、ワイフと冬の旅行計画などを打ち合わせたため、就寝は午前3時過ぎになってしまった。
6月25日(水)「今日も疲れたよ・・・の風さん」
朝のうちに今月分1週間遅れの墓掃除をしてきた。近所にお墓があるのは本当に便利だ。
帰宅し、昨日できなかった8月の長野県での講演のためのレジュメを作成した。午前と午後の2回やるので、どちらもじっくり解説できる内容にするつもりだ。それでも話しきれないことをレジュメに付録としてつけておく。事前配布資料という意味付けになる。何とか完成させて、昼食後にメールで送ることができた。
次は、日本数学協会の機関誌「数学文化」の原稿のゲラ校正である。
赤を入れながら思うことがあった。以前は、最初の原稿の完成度を上げるために死に物狂いで、結果、初稿はそこそこのレベルになり、自分でおこなう校正は比較的少なかった。
しかし、初稿のレベルをそこまで求めず、校正の段階で多めに手を入れる方が、結果として早いし楽である。頭では分かっていたが、初稿のレベルを下げることはこれまでプライドが許さなかった。
しかし、それではスピードの時代についていけない。ようやく私も妥協するしかないことに気付いたのだ。
ゲラ校正が終了し、郵送の準備もし、夜、迎えのために最寄りの駅へ行くついでに郵便局で投函した。速達であり、明日投函している余裕があるか分からないからだ。
ギリギリになってしまったが、明日の講義の準備を始めた。先週もある程度やっていたので、何とか完了させられるかと思ったが、困難なことが分かってきた。
そこで、これも区切りをつけることにした。80%で止める方法というか、最後までやらなくても、教えることは多いのだ。
不調だったプリンターを前回と同じやり方(ドライバーの削除と再インストール)で復活させた。なぜこの方法で復活するのか分からない。
今日も知力と体力の限界に挑戦した気分だった。何とか筋トレを復活させねば。
6月26日(木)「東京ではスローペースに・・・の風さん」
昨日の夜遅くに復活したプリンターを使って、必要な書類を印刷した。
続けて、残りが少なくなっていた愛工大の名刺を追加印刷した。
ここまで順調にできたので気分はよかったが、最後にもう一度今日の講義の準備の続きをやり、あとは電車に乗ってからにした。今夜から上京するのに、結局、ギリギリの準備になってしまったので、だんだん気が滅入ってきた。
いつものようにインスタントラーメンで昼食にし、電車で本山キャンパスへ向かった。
講義後、テキストや講義用のパソコンをロッカーに預けて名駅へ。来週の上京では、東京から帰って来たら、そのまま本山キャンパスへ直行し、ロッカーから荷物を出して講義をしようというダイナミックな計画である(笑)。
知人の出産祝いにするため、デパートで商品券を購入し、新幹線待合室へ入った。
小さなおにぎり2個と小さなお茶で東京までもたせることにした。
今回はこだまのグリーンでのんびり旅行である。ここのところずっと弱い頭脳を駆使して知的な作業を続けて来たので、今回の東京はスローペースにするつもりだ。
グリーンだからと安心してラインゲームに没頭していたら、シートに電源がないことに気が付いた。
持参のパソコンからスマホに充電するはめになってしまった。
グリーンだったので無料の『ウェッジ』を読むことができた。中国が273基もの原発を建設しようとしている記事を読んでショックを受けた。しかも様々なタイプの原発で、その中に日本が技術で世界一の安全タイプ「高温ガス炉」も含まれている。福島原発事故のためにすべての原発が危険とされてしまったが、それは水で冷やす「軽水炉」タイプだからだ。「高温ガス炉」であれば、災害で電源がストップしても炉心は自然物理現象で冷却されていく。日本の原子力技術の進展が停滞している間に中国が世界一の原子力技術保有国となったらどうなるか。人権も民主主義も道義もない国家だから危惧される。
最近利用している格安ホテルにチェックイン後、銀座であやしいお店を開いている友人のところへ向かった。
あやしいと書いたが、本当は期待していた。パリにでもありそうな古風なビルの1室だと想像していたからだ。
ところが、その1室は画廊だったため、ヘビースモーカーの友人とその客たちは追い出されてしまい、近くの穴蔵へ移動していたのだ。あやしいと書いた店は、実際、本当にあやしい店になっていた。
それでも客が来るのだから、これは友人の人徳であり、強いネットワークの力である。
最初から午後11時までと決めていたので(最後まで頑張ると朝になるのは間違いない)、また来週来るからね、と失礼した。
格安ホテルでも部屋でパソコン(Wi-Fi)が使えるので、他は不便でも耐えられる。
しかし、パソコンで仕事をするほどの元気は残ってなかった。やはり東京ではスローペースにしよう。
6月27日(金)「スローペースの東京・・・の風さん」
東京でのスケジュールはいちおう分刻みで立ててあったが、目覚めたときの状態から、今日は1時間遅れスタートにすることに決めた。
毎年6月の最終金曜日は長谷川伸の会のある日であり、私はもう10年以上も司会役だ。そして、ここ数年は、交通費を節約するため、毎年このタイミングで開催される展示会の見学を目的に出張することにしていた。
その展示会は、退社しても見学したいモノづくりに関係する内容だったから、行くことに決めていた。事実上、自費ということになる。
東京ビッグサイトに着いて驚いた。いきなり安倍首相の祝辞の看板が出ていたからだ。主として中小企業に対する激励のメッセージと政府としてバックアップすることを約束する内容だった。就任以来の行動力は今も健在のようで頼もしく思った。
戦後の復興から今日の日本を築き上げた原動力であるものづくりは、やはり今でも注力すべきコアなのである。いくら時代が変わったからといって、日本は急に金融やサービス中心の国には変化できない。
今年の見学の一つの目的は、本山キャンパスでの講義に関係するものだった。ERPや生産管理のパッケージソフトがどんなものなのか勉強するのである。いくつかのブースでミニセミナーを聴講し、説明員に質問し、資料ももらった。
おかげで無知のレベルから初心者レベルくらいになった気がする。
歯車ソフトの会社アムテックの社長とは親しいので、西ホールの奥まで足をのばした。それだけ今回の展示会は出店ブースが多く、また入場者も多かった。アムテックのブースでは、社長に、昨夜のこだまのグリーン席で呼んだ中国に置ける原発開発の記事の話をした。社長も大阪へ帰るとき読んでみると言っていた。
途中で降り出した激しく雨が運良く上がって、わたしは、恒例の長谷川伸の会へ向かった。
今年の長谷川伸賞は二葉百合子さんで、浪曲を学んだことがあるという五大路子さんも駆けつけて、飛び入りで花束を贈呈した。もちろん司会役の私はたくみにサポートした。
その二葉百合子さんが第二部の懇親会で、人生最後ともいうべき「一本刀土俵入り」を台詞入りで歌ってくださった。
芸道77年とのことだが、常人には到達できない芸域である。
懇親会ではたっぷり飲んで食べ、二次会は遠慮して、四谷の弘済会館を後にした。こんな早い時間での撤収も初めてである。スローペースに決めたとはいうものの、そうせざるを得ない状況なのかもしれない。
ま、とにかく、明日もあることなので、今夜も早めに寝よう。
6月28日(土)「久々の東京雨男・・・の風さん」
目が覚めたので、時計を見たら1時半だった。しまった、午後まで爆睡してしまった、と本気で思った。
カーテンの外は真っ暗で、まだ午前1時半だった。
午前8時近くまでベッドの中にいたが、元気溌剌とはいかない。最近頚椎症も良くなくて首が痛いので、起きて早々、ロキソニンを服用した。
しっかりパソコンを立ち上げて、気まぐれ日記でも書こうと思ったが、この部屋は電波の状況はあまりよくみたいで、途中でフリーズしてしまい、再起動をかける必要があった。MacbookAirには珍しいことである。
スローペースに決めたので、ゆっくりチェックアウトのためにロビーに降りて行ったら、なんと外は土砂降りだった。
駅まで遠くはなかったが、傘がなければずぶ濡れになる。
しばらくロビーでMacbookAirを立ち上げてメールチェックをしていたが、電池も減ってきたし、朝食もまだだったので、ブランチにしようとホテルのレストランに入った。少々値段は高いが仕方ない……と思ったら、なんと運の良いことに、土日は、サラダバーとドリンクバーが無料でランチについていた。
珍しく東京でまともなランチをたっぷり食べ、サービス(ウェイターのこと)の厚いもてなしも受けて、再びロビーに出ると、雨は土砂降りから普通になっていた。
午後の用事のために荷物はコインロッカーに預けて、と思ったのだが、皆、同じことを考えているらしく、空いているコインロッカーがないばかりか、ロッカーの前には空くのを待つ立ち姿の人まで見られた。
あまり時間的な余裕がなくなってきたので、諦めて、とうとう傘も買い、たくさんの荷物を抱えて午後の目的へ向かった。
駒場東大前に着いたときも雨がしっかり降っていて、そこでようやく空きロッカーを見つけたので、荷物の大半をそこへ押し込んで、今日の目的、13号館に開催されている第13回理科読シンポジウムへ向かった。
シンポジウム中に岩波書店の編集者と打ち合わせるのが一つの目的で、それは十分果たすことができたが、今日は、ラッキーなことに、塩尻市市民交流センターの中の図書館の人が講演に来ていて、挨拶できた。実は、わたしは8月に塩尻市へ行くのである。そう。長野県での講演のためである。8月にまた会えそうである。
家路に着くころには雨が上がっていた。
傘もコインロッカーも駒場東大前駅と13号館の間しか役に立たなかったことになる。
帰りもこだまのグリーンで、のんびり旅行をしめくくった。
6月29日(日)「疲労していてもやらねばならぬ・・・の風さん」
昨夜は夜更かしせずに就寝したが、疲労はとれなかった。朝から何となく気力が出ない。やることがたくさんあるのに、焦る。
ワイフは朝から定期健康診断に出かけた。どうってことないのに、毎回、緊張した様子である。大嫌いなバリウム検査は、今回もパス。人間には誰しもこだわりがある。どうしようもないものである。しかし、後で悔やむことにならなければいいが。
健診後はそのまま実家に行くそうなので、私は猫たちと留守番である。
天気予報は雨ではないが、非常に蒸し暑い。やはり梅雨なのだ。1階の窓をできるだけ開けて、風が通るようにしておいた。2階の書斎はクーラー使用。
あまりクリエイティブな仕事ができそうもなかったので、たらたらと軽作業を続けた。
午後はしっかりシエスタもとった。
気になるメールをたくさん出して、郵便物もいくつか用意した。たまった名刺をスキャナーで読み込んでファイリングした。
夕食後、珍しくワイフから今後のスケジュールの話題が出た。これまでお互いに忙しくて、真剣に相談できなかったことである。とりあえずのスケジュールを次々に決めて、リビングのカレンダーに書き込んでいった。変更することはあるだろうが、最初に日にちをおさえておかないと、スケジュールは後から後から発生して空き時間は埋まってしまう。
それで、ようやく元気が出た私は、就寝前に書斎でもうひと仕事する気になった。
今週、東京から直行しておこなう本山キャンパスでの講義の準備を終えた。
6月30日(月)「年をとるということは・・・の風さん」
年が明けて半年、退社して3ヶ月である。いつまで全力疾走が続くのだろう。
昨日から準備した郵便物の中にレターパックが2つあった。以前は350円だったが、消費税が上がって360円になった。古いレターパックに10円切手を貼って使っていた。今日は、2つとも新しい360円のレターパックだったが、10円切手をおごってしまった(笑)。年をとるとはこういうことだ。
昼食後、郵便局へ行って郵便物をまとめて投函し、キャメロンを反転させて地元の酒蔵へ。そこでお土産に純米吟醸を2本購入した。
帰宅し、明日明後日の仕事の準備もだいたい終え、1時間のシエスタもとった後、夕方からようやく元気が出てきた。
執筆をしながら、今回の上京の往復の新幹線車中で原稿を完了させようと思った。ラインゲームで遊んでいる場合ではない。
夕食後、キリの良いところまで執筆をし、旅行支度も終えた。けっこう荷物が多い。
明日の朝はいつもより早いので、日本酒をきりりと飲んでさっさと寝ることにした。
2014年7月はここ
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